今日もたぶろぐ(@sawa_tablog)をお読みいただきありがとうございます。
今回は実際に『ひめゆり平和祈念資料館』に行ってきたので、個人的な感想も交えながらご紹介をしていきたいと思います。
【沖縄観光情報】太平洋戦争の悲惨さを語り継ぐ『ひめゆり平和資料館』訪問記(沖縄県 糸満市)
『ひめゆり平和資料館』の場所・アクセス方法
住所 | 〒901-0344 沖縄県糸満市字伊原671-1 |
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電話番号 | 098−997−2100 |
営業時間・休館日 | 【年中無休】9:00〜17:00 |
入館料 | 大人450円/高校生250円/小中学生150円 |
交通アクセス | 糸満バスターミナルからバスで約15分 |
駐車場 | 周辺に無料の駐車場あり |
『ひめゆり平和資料館』があるのは沖縄県南部の糸満市。那覇空港から約20kmで車だと30分くらいで行けるので、比較的アクセスの良い場所にあります。
太平洋戦争の末期、沖縄戦で若くして亡くなった「ひめゆり学徒隊」の方々の慰霊碑『ひめゆりの塔』の隣に『ひめゆり平和祈念資料館』はあります。
駐車場などはひめゆりの塔と共通なので、訪れる際はセットで見学されることをおすすめします。
『ひめゆりの塔』へのアクセス方法については以前の記事で細かく説明していますので、こちらをご確認ください。
▲「ひめゆりの塔」と「平和祈念資料館」は隣接しています。ぜひ併せて見学してください。
▲「ひめゆりの塔」入口には献花販売店が。一束200円で購入できます。
▲戦時中、実際にひめゆり学徒隊が使用していた「伊原第三外科壕」の跡。これはガマと呼ばれる自然にできた洞窟で、沖縄戦では多くのガマがこのように医療施設や作戦基地として使われていました。
『ひめゆり平和祈念資料館』の内部
▲『ひめゆり平和祈念資料館』の入口
館内は全て写真撮影禁止だったので、ここからは文字だけの紹介になります。
館内は全部で6つのエリアに分かれていて、
太平洋戦争前に『沖縄師範学校女子部』・『沖縄県立第一高等女学校』で普通に学生としての生活をしていたところから、
戦場への動員そして解散までの約3ヶ月間の詳細、
次の世代へ語り継ぐべき戦争の悲惨さなどを、
多くの資料とともに展示しています。
◆第一展示室◆-ひめゆりの学校
第一展示室で展示されているのは、まだ太平洋戦争に突入する前、『沖縄師範学校女子部』・『沖縄県立第一高等女学校』で普通に学生としての生活をしていた頃の資料です。
普通の学生として、日々勉強に励み青春を謳歌していた生徒たちがどんどん「戦争」に染められていく様子がわかります。
◆第二展示室◆-ひめゆりの戦場
1945年3月、ついにアメリカ軍は沖縄に上陸してきて、2つの学校に通っていた生徒たちが戦場へ動員されました。
第二展示室では実際に「ひめゆり学徒隊」が派遣された南風原の陸軍病院壕のジオラマ模型が展示されているほか、元ひめゆり学徒隊の生存者が当時の様子を語るVTRが流されています。
当時使われていた医療器具や生徒の手記なども多く展示されていて、とても生々しい雰囲気です。
◆第三展示室◆-解散命令と死の彷徨
沖縄戦開戦後もアメリカ軍の侵攻を止めることができず、ひめゆり学徒隊はじめ多くの日本軍が南部へ撤退を始めます。
敗戦が明らかな状況になっても、日本軍はガマと呼ばれる天然の洞窟を拠点として徹底抗戦を続けていた中、6月18日の夜に突如ひめゆり学徒隊に『解散命令』が出されます。
解散と言ってもそこは敵の目の前、解散で軍人でなくなった学生たちはガマを追い出され、敵に包囲された戦場に放り出されることになってしまいました。
実際、ひめゆり学徒隊の多くがこの『解散命令』後に亡くなっています。
第三展示室では、アメリカ軍の映像や生存者の証言映像でこの頃の様子を知る事ができます。
生存者の証言映像もそうですが、アメリカ軍のフィルム映像が衝撃的なものばかりで、見ていて少し気分が悪くなりそうでした…。
◆第四展示室◆-鎮魂
第四展示室には、ひめゆりの塔がある『伊原第三外科壕』の実物大ジオラマがあり、どれだけ過酷な環境だったかを知ることができます。
またこの展示室には戦争の犠牲になった200名以上のひめゆり学徒隊の方々の遺影と亡くなった当時の状況が壁面にかけられています。
中には いつ・どこで亡くなったのか がわかっていない方も少なくなくて、どれだけ悲惨な環境だったか容易に想像できます。
◆第五展示室◆-ひめゆりの戦後
第五展示室では戦後のひめゆり学徒隊の活動内容を展示しつつ、ここまでの展示室を見て感じた想いを自由に書き記すための空間になっています。
◆第六展示室◆-平和への広場
2021年のリニューアルの前、2004年に行われたリニューアル工事で新しく増設されたのが第六展示室です。
ここは多くの方々が平和について語り合える場として作られたホールのような場所です。
2021年のリニューアルに合わせて増えた当時の資料などの一部もここに展示されています。
まとめ
ということで今回は『ひめゆり平和祈念資料館』についてご紹介しました。
▲ひめゆり学徒隊3ヶ月の歩み。
戦況が著しく悪化した状態での突然の「解散命令」。アメリカ軍がすぐ目の前まで迫っている状況で敵の目の前に放り出される恐怖を考えると、とても心が苦しくなりました。
沖縄というと北部のビーチリゾートや美ら海水族館、那覇市内の国際通りや首里城といった観光スポットばかりに目が行きがちですが、太平洋戦争で地元住民も巻き込んだ地上戦が行われた場所、という一面も沖縄は持っているので、戦争の悲惨さを知り、後世へ語り継ぐためにも「ひめゆりの塔」「ひめゆり平和祈念資料館」はぜひ訪れてほしいスポットです。
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